
TURA制作発起ストーリー
作者は創鹿(ソウカ)ブランドを立ち上げる以前は、飲食業界で長年働いていました。
飲食の仕事はすきだったと言います。 しかしハードな労働環境、難しい人間関係、理不尽な理由による解雇、全てに嫌気がさした製作者は飲食業に見切りをつけた後、北海道のオホーツク地方を訪れました。
ある日、製作者はエゾ鹿のツノが無造作に地面に落ちているのを見つけました。
「もったいないなぁ。こいつらかっこいいのになぁ。とっても魅力があるのに・・・・。」
と作者は感じたと言います。
実は、北海道ではエゾ鹿は「害獣」とされています。
年に1度生えかわるエゾ鹿のツノは、「畑を耕す機械を壊すもの」「使い道のない、捨てるのも面倒な落し物」のように扱われています。
エゾ鹿が害獣とされているのは、樹木の皮や希少植物、農作物を食べることで自然環境だけでなく、人々の暮らしにも害をもたらしているからです。
しかし、古来のアイヌ文化では、エゾ鹿は「神様が与えてくれた獲物」でした。
アイヌの人々にとって、エゾ鹿は貴重な食料、衣服、装飾品の材料であり、棄てるものがどこにもない、正に「天からの恵み」だったのです。
なぜ、エゾ鹿は「天の恵み」から「害獣」とされるまでになってしまったのでしょうか?
それは、時代と共に、人々の暮らしと生活環境が変わったからです。
エゾ鹿たちがもともと暮らしていた原生林は、開発で農地となり、天敵のエゾオオカミも絶滅しました。
エゾ鹿たちは住む場所を追われ、外敵がいなくなったことでどんどん数を増やしていったのです。
明治時代には人間たちに乱獲されて絶滅寸前にされたり、今度は保護政策で数が増えすぎたために害獣として駆除されてしまう・・・。
「それって人の勝手な考えだろう。」
人間の身勝手な都合に振り回されるエゾ鹿の姿にどこか過去の自分自身を重ね合わせていました。
そんなある日、冬の北海道の山の牧草地で、一頭の大きな牡鹿がまっさらな雪の牧草地をまるで海を泳ぐように走っているのを目にしました。
走り去る牡鹿、飛び散る粉雪、その力強い姿に感銘を受けた製作者は「鹿ツノらしさ、鹿ツノの力強さと頑丈さを表現したい」と思い、製作者がこれまで一度もやったことのない創作活動を始めることを決めたのです。
「大地とか生命とか動物とかって、アイヌの神話いわく、神様が人のために与えてくれた
もの。ある意味で人間以上のもの。見方を変えたら、鹿ツノは神のツノと言ってもいい
はず。だから、自分はこの命をカタチに残してあげたい」と作者は語ります。
こうした経緯から、鹿ツノをカラビナtura(トゥラ)というカタチにし、BOXの敷物に鹿の毛皮をアレンジしたsiknu (シクヌ)BOXが生まれました。
siknu (シクヌ)はアイヌ語で「生きる」ことを意味しています。
「作品を作っている時に鹿ツノがどんなカタチにして欲しいかを教えてくれる」と製作者は言います。鹿ツノには鹿の命がこもっているのでしょう。
「滑らかにしたいのか。もっと削って欲しいのか。何を残して欲しいのかを鹿ツノが教えてくれる」と作者は言います。
TURA(トゥラ)は一つひとつ形も模様も表情も違う、まさに鹿の生命を感じる作品になっています。
また、TURA(トゥラ)にはアイヌ語で「〜に同行する、〜と共にある、〜と一緒に」という意味があります。
「本当の自然をもう一度思い起こすこと。それは地球のためになるし、結果的に自分のためになる」と作者は語ります。
現代ほど人と自然が分かたれている時代はないかもしれません。
人同士の分断も深刻です。
動物だけでなく、人の命の尊ささえも感じることがさらに難しい時代になっています。
人間もエゾ鹿も自然から生まれたものです。
ならば、人が作るものも自然であるべきではないでしょうか?
作品が命や、自然と共存することについて考えるきっかけになってくれることを製作者は願っています。
また、siknu (シクヌ)BOXの蓋の裏には、ちょっとした紙ものなどを挟めるように真鍮のフックが付いています。
もし、siknu (シクヌ)BOX を北海道でご購入頂いたら、北海道で行った場所のチケットやパンフレットなどの思い出を蓋の裏に挟んで頂ければと思います。
鹿の命と北海道の思い出が入った自分だけのBOXをぜひ作ってみてください。
創鹿(ソウカ)は今後も様々な作品を発表していく予定です。
今後は鹿だけでなく、他の動物のこともsiknu (シクヌ)BOXを通して伝えていきたいと思いますので、どうぞ今後にもご期待ください。